一れつ会について 創立者の想い

創立者

  社会福祉法人一れつ会
  創立者    小林  義和

一れつ会 名前の由来

人間の身分に高いも低いもない。
障がいがあろうがなかろうが、人としては一緒である。
例えば、一れつ会の中に理事長や管理者といった職務があるが、だれが偉いとかではなく、職務上の肩書きでしかない。
みんな横一れつである。
そのためには漢字ではなく、ひらがなを使うべきだろうと、その思いが全てです。

 

創立の想い

元々神戸の社会福祉法人に在籍し、福祉を経験していました。
今の一れつ会を形作っている「全ての人が喜ぶ社会づくり」を目指したのも、その頃の体験がとても大きかったと思います。
問題が山積していようが、理念でもある「一人も泣く人のいない、一人残らずの人が喜ぶ社会づくり」の実現を追う内に、沢山の方の助けを頂き様々な事業所を開設する事が出来ました。
利用する人がいる限り事業所を続けよう、法人内で助け合い支えていこうという考えでここまで来ました。
100人いて、一人でも泣いている人がいれば、決して福祉社会とは言えない。 100人いれば全員が喜ぶ社会でないといけない。 そんな世の中は作れないと仰る方もいらっしゃいます。 もちろん半信半疑の方も多くおられると思います。
例えばここに3人居て、あんぱんが一つあるとします。
これを平等に分けてごらん。そう言いますと大抵の人が三等分します。 私は、それは決して平等ではないと思います。 その中にあんぱんが嫌いな人がいたら?もっと欲しい人がいたら? それよりも食べたい人が食べたいだけ食べればいい。 もし三人がみんな欲しかったら、その時は話し合いの結果三等分になるでしょう。 最初から三等分することは平等ではないと思います。では三人がみんな全部欲しかったら? ここからが一れつ会の考え方です。
僕はあんぱん大好きですけど、どうぞ、そう貴方に勧めます。 貴方が、ありがとう、そう言いながら喜んで食べている姿を見て、自分も食べた気持ちになり喜べる、そうありたいと願っています。 もらい泣き、という言葉があります。他人の哀しみに寄り添い、一緒に哀しむ、いい精神だと思います。 では他人の成功を自分の事のように喜べたら? 自分のものを喜んで他の人に差し出すことができたら? 哀しい事、悪い事だけでなく、よかった事や幸せも一緒に喜び合えたら? 私たちが大切にしているのは「もらいよろこび」の精神です。
それが一れつ会の一番大切にしている言葉です。
人間は生まれながらにして善人である。 人の心は鏡のようなものだと思います。 埃がたまった鏡にはものは映りません。 埃とは憎しみや妬み、腹立ち、くやしい、欲しい、そういったものだと思います。 埃を払う事で鏡はまた輝きを取り戻します。
自分の親や祖父が積んできてくれた徳のお陰で何度も助けられたことがある。 自分の前職を辞めるときに送られた言葉が「人間は霞を食って生きていける」 その意味をずっと考えてきました。
自分中心ではなく、一生懸命人のために生きてきたら、誰かが必ず助けてくれる。 それを期待する訳ではなく、回り回って様々な方に助けてもらいました。 そうやってここまでやってきて、ようやく分かったことがあります。 困った時、危機に陥った時、誰にも助けてもらえなかったら、それは自分の行いが間違っていたということ。 誰がに救われたとしたら、それはこれまでの行いが正しかった、そういう事がわかりました。 前職を辞める時、送っていただいた言葉の真意がようやく理解できたのです。
職員を、職員の家族を、利用者の方を、大切にする精神も施設で心がけています。 例えば育児休暇ですが、私は3年休んで欲しいと思い、制度化もしていますが、最近は核家族化が進み、職員の方々も家を建てたとか様々な要因が嵩み、中々休む方も少ないですね。 子供は3歳までの育ち方が重要ですから。

 

これからの福祉

現在、社会福祉法人を取り巻く環境は大きな変革の中にあります。
情報開示が求められ、様々な要因に翻弄される事もあるでしょう。 しかし、どのような業態・産業であろうが、変革の無い産業はありません。 厳しい市場の競争原理の中に身を置く民間企業は絶えず大きな変革が起きているとも云えるでしょう。 福祉ももちろん例外ではありません。 今後は、福祉の専門家だけでなく、経営に関する知識をお持ちの方、人事管理や総務を理解していらっしゃる方など多方面の人財と協力し、組織としての総合力が必要になるでしょう。
理念を実現し、新しい時代の新しい福祉を創っていく、一れつ会はその時代を牽引する役割でいて欲しい。
そう願っています。

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